心の闇
フェイスブック、若い人よりも中高年の方が夢中だと言う話を聞いたことがあります。
若い人はツイッターやインスタなのかな?
私がフェイスブックを始めたのはかれこれ6-7年くらい前、海外在住の時実家の母に近況を写真付きで知らせるのに便利だと思ったことからです。
公開範囲も限定できるし、友達の数を競う気もなかったので身内でこじんまりやっていました。
でもたまに顔見知り程度の方から友達申請が来たりして、拒否るわけにもいかなかったので、今では個人的に会うことも連絡を取り合うこともない人の近況を知ることになっています。
ある人は客室乗務員になって今や国際線で忙しくフライトしている様子。
仕事の忙しさや大変さを嘆きながらも海外での食事風景、ショッピングの様子をまあマメにアップして来ます。
自撮りの写真を載せては、お友達に綺麗とコメントされています。
なぜかこの方の日常を見せられると私は意地の悪い気持ちが湧いて来ます。
そんなに幸せアピールしなくても・・・ってね。
一方で彼女のフェイスブックが自分の反面教師と言うか、こう言うことを載せてはいけないって言うガイドラインにもなっています。
他人から見てこれは自慢になっていないだろうか、って常に考えてしまうのです。
自慢になるような生活してはいないんだけど、いろいろ考えちゃって今ではもっぱら見る専門になっています。
(そしてまた悶々とする、じゃあ見なきゃいいじゃんとも思うけど)
まあ帰国して母はそばに住んでいるし必要がなくなったって言うのもあります。
以前ママ友同士のマウンティングって言う話題をテレビでやっていましたが、フェイスブックに高級レストランでランチしたとかわざと高級外車が写り込むような家族写真を載せたりする人がいるんだそうです。
マウンティングって言うのは犬どうし自分の方が相手より優位だと言うことを示そうとする行為だと思うのですが、人間界にもそれに似た状況があるようです。
同じような家族構成、例えば子供の年齢が同じとか。
今日は子供の入学式でした、と書いて写真に駒場東大前って駅の看板がチラッと写っているとかが高度なマウンティングの方法だそうです。
(子供が東大に入学したことをさりげなくアピールするんだそうです)
もし自分の子供が東大に受かったら(妄想レベルの話ですよ)、今のような方法でアピールするよりも
うちの子が東大にめでたく受かりました〜
と書いた方が良いのでしょうか?
私だったら素直に喜びを表してある方が良かったね〜おめでとう、って言う気持ちになるような気もします。
いや、本当?もし自分の子供が受験に失敗してそんな写真がアップされたら軽く殺意が湧くんじゃない?
そもそも東大なんて目指してないし、レベルが違いすぎて別世界の話と割り切れるような気もするわ。
とか、いろいろ考えているともう何もフェイスブックに載せられないのですよ。
でマウンティングの話に戻ると、子供がどこの学校に受かったとか夫の社会的地位が高いとか低いとかは私の価値とは全く関係ないのです。
私の価値ってなんだろう?
子供の受験のフォローをし、家族の生活の面倒を見て、パートで小銭を稼ぐ。
素敵な日常とは程遠いわ・・